最近、読んだ本や調べたことや聞いた話などがいろいろ重なって広がって、たいへんなんですが。
夢を実現させなくてはならないのは、希望を持って努力しなければならないのは、大人たちではないのか、と、混乱の一部はそういう心境といえる。
《日常》のいろんな場面で、「こんなこと手に負えない」と呆然とするようなことがこれまで何度かあった。とても些細なことで、だから普通に考えて、どうしてもなんとかしなければならないなら、なんとかできる・することなんだけれど。
或いは、自分の抱えている仕事(たとえば食事を作るとか洗濯とかそんな《日常》のシゴトも含めて)や、したいことやしなければならないこと、世の中のことや周りの人や自分のこと…などなどを想うとき、その中のどれだけのことができるかとか、やりたくないことやいろんな事情を更に想像して、絶望的な気分になったりする。すぐには解決しないことや、解決できないこともある。
そういうことについて、いろいろ考えていて、みんなどう折り合って生活しているんだろう、と思ったりしていた。
そして、成人式のとき、いろんな「偉い人」の話について、これまでよく生きてきたな、とでもいってほしい、とか前に書いたけど、最近は、それこそ、本当に《社会人》とか《大人》とか、《自分》たちと同じ立場になるなら考えなきゃいけないこととか想像しなきゃいけないこととかがあるなら、そういう話したら? とも思ったり。
たとえば選挙で自分の意見の代弁者(代表者?)を選ぶというのは、その選ばれた人たちで《意見》を戦わせて、ある人が他のある意見の方がいいとかって思って賛成するとか反対するとかなら、その人を選んだ人たちもまたそれで納得していなければおかしいんじゃないのか、というよくわからないが、そういうことをぼんやり考えたり。ある意味では、民族や人種といった意識が低いと、「我々」のために政治を行うことはできないのだろうか、とただの思い付きをただごろごろ転がしてみたり。
世界で起きているいろんなことや、身近な事件や事故から何故きちんと学べていないのか、どうして政治や教育が明らかにより良いとわかるのと違う方向に進んでいくのか、と考えたり……
……していて、結局、「ああ、みんな、特に考えてないのか、意志や希望がないのか」、と思い当たったり。
それを非難したいとかじゃなくて、日々の些末なことに追われていたら、できないことはたくさんあるのか、と、自分が何もかもできていないと感じることに対して納得したというか、そういうものなのかも、と思った。そして、隠者はだから世俗を離れるのか……、とも思った。
……で、どうしたらいいんだ?
最近のコメント